私小説&海外古典短編小説

『マーラー』恋人達に死が訪れてもその作品の中には愛が生き続ける真理を描いた 1974年:9点

 松田遼司の「旅行・音楽・美術好きのための映画・漫画評論」。アマゾンプライムなどで配信されている名作を中心にお届けします。

 今回は、「作曲家グスタフ・マーラーの精神的悩みを描いた伝記映画『マーラー』を紹介します。

『マーラー』の概要

 『マーラー』は、イギリス映画界の鬼才ケン・ラッセル監督監督の74年作品ですが、日本公開は87 年のようです。原題は珍しく邦題と同じ『Mahler』です。アカデミー監督賞にノミネートされた『恋する女たち』(69年)で注目され、その後は名ピアニスト兼作曲家フランツ・リストの『リストマニア』(76年)などの伝記映画やバイロン邸でのフランケンシュタインの怪物の誕生秘話『ゴシック』(86年)などの怪奇作品で知られています。

 現在と回想シーンとの切り替わりでストーリーが展開していきます。全編にマーラーの交響曲を初めとして、シューベルトやワーグナーの名曲が流れます。演奏はマーラー作品の指揮では第一人者の一人であるベルナルト・ハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウであり、クラシック・ファンには必見の作品です。

 オーストリアの風景や列車内や邸宅内などの映像美も素晴らしく、旅行好きや美術好きの方も満足されるでしょう。マーラーをモデルとした主人公の美少年への憧れを描いたルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作『ヴェニスに死す』を模したシーンが映画のテーマ曲であったマーラーの『交響曲第5番』第4楽章と共に写される演出は芸術映画好きにはたまらないでしょう。

 マーラーの創作への苦しみを回想シーンと共に描いている精神性の高い作品ですが、米国最大の映画データベースの批評サイトIMDbの視聴者2900人による平均スコアは7.0です。クラシック・ファンの方などしか見ていないためなのか、米国での評価は意外と高いようです。

 主役グスタフ・マーラー役は英国の名優ロバート・パウエル。イエス・キリストを演じたナザレのイエス(77年)、レーを演じたドミニク・サンダ演ずるルー・サロメとニーチェ、その弟子レーとの三角関係描いたルー・サロメ 善悪の彼岸(77年)などで芸術映画好きには知られた存在でしたが、日本語版ウィキはないようです。

 妻のアルマジョージナ・ヘイル。自分の存在を認めてくれない夫への怒りを見事に演じたこの作品で、英国アカデミー賞主演女優賞を受賞しています。ケン・ラッセル作品の常連であり、ローレンス・オリヴェエ賞にノミネートされるなど舞台女優としても活躍演技力には定評があります。

 

マーラー』のネタバレなしの途中までのストーリー

 ネタバレなしの途中までのストーリーは、死をイメージしていたと言われる『交響曲第10番第1楽章』が流れる中、「作曲に使用していた湖畔の家が燃え、黒服の女と二人の女の子が花を捧げる場面」から始まります。『交響曲第3第1楽章』が流れると場面が変化します。魔女のような衣装のアルマ(ジョージナ・ヘイル)と岩となったグスタフ(ロバート・パウエル)の顔。「白い蛹のような糸に包まれた物体から抜け出た女性はモダンバレエのように軽やかなステップでマーラーの顔型の岩に近寄ると、キス」をします。非常に「幻想的で美しい、ラッセルらしいシーン」です。この冒頭のシーンだけであっという間に作品に引き込まれてしまいます。

 汽笛の音で目覚めたグスタフはそれが夢だと悟ります。車窓からホームを眺めると映画『ヴェニスに死す』の光景が自身の『交響曲第5番第4楽章』と共に展開されています。突然のノックで我に帰ると、記者から「なぜニューヨーク・フィルの指揮者を辞めたのか?トスカニーニを恐れてか?病気だからか?ウイーン・オペラを追われたのは?などと質問攻めにあいます。オーストリアに戻ってきたのでした。

 美しい装飾のオペラハウス内では黒いヴェールに顔を包んだ黒人女性がグスタフを見つめています

 湖畔の作曲小屋での回想シーンでは「静寂が重要」というグスタフに、アルマは牛からカウベルを外し、教会の鐘を止め、羊飼いの笛をキスして取り上げ、フォークダンスの楽団にはビールを運んで演奏を辞めさせます。その甲斐甲斐しい努力の影では感謝もせずに、自身の『交響曲第1番』に酔いしれるグスタフがいます。しかし、書いている曲は大自然を彷彿させる素晴らしさで、二人は抱き合います。

 次の回想シーンは子供の頃で、醸造所を経営していた父とその家族はユダヤ人でお金のことばかりを考えています。ピアニストが稼げると練習に生かされましたが、作曲が好きなグスタフは授業をさぼって自然と生きる自由なアコーディオン弾きと出会い、作曲において人の心を打つには自然や世の中を知ることの重要さを教えられます。森での白馬での疾走シーンには『交響曲第3番が流れます。

 再び目覚めるとアルマを愛するマックスから、アルマから手をひくように告げられます。静寂を求めてコンパートメント変更をアルマに指示していたところ、アフリカ系女性が受け入れてくれます。彼女から「静寂を求める繊細な神経をお持ちなので代わることにした、ニューヨーク・タイムスの記事では第9番交響曲のテーマは「死」と書かれていた」と聞かされます。それに対してテーマは「愛への別れ」だと告げるのでした…..

 

マーラー』を観ての感想

 心臓を患っていたマーラーは死への恐怖」と戦っていました。子供に魂や精神について語る場面にあるようにフロイトと交流があったことから「輪廻転生については知っていた」はずです。しかし、「死への恐怖が過去の多くの悩みと重なり合い悪夢となって甦ってきた」わけです。「黒いヴェールに顔を包んだ黒人女性やアルマは死の象徴で」しょう。グスタフはベートーベンが第9交響曲を最後に死んだことで、「9番目の交響曲を『大地の歌』として9番としなかった」のは有名なエピソードです。この映画は晩年の喉頭炎を患っている時期を描いており、「死がテーマの一つ」となっているようです。冒頭に流れる『交響曲第10番第1楽章』燃える作曲小屋と共にマーラーの死期が近いことを暗示しています。

 先進的な音楽が受け入れられない、ユダヤ人のためオペラハウス監督になれずに改宗するなど、「現実との妥協で精神が崩壊していく音楽家の苦悩もテーマ」となっています。チャイコフスキーやシューマンもそうだったようです。チャイコフスキーにも秀作の伝記映画があるので、おすすめです。

 マーラーは子供の頃に出会ったオールド・ニックという人物から「鳥や虫など自然の声を聴き、自然を生きることで人の心を打つ音楽を創造できる」と教えられました。ウェルター湖の湖上に山荘を建てて作曲に集中する際には「プライバシーと静寂を大切」にしていました。「彼の音楽は自然に向かっていた」ことを物語るエピソードです。

 しかし、より大きなテーマは、アルマの作曲家としての才能を認めようとしなかったことへのアルマの不信と怒りでしょう。声楽家と共に彼女の作品を嘲笑する態度は酷いもので、これは因果応報にあっても当然だと思われました。最後には「その作品は自然ではなく彼女への愛」なのだと理解させることができましたが、「It’s too late」です。ワーグナーのトリスタンとイゾルデ」が流れる中、嘲笑された自作の楽譜を入れた筒を土に埋め込むアルマの姿は、「グスタフとの愛の終わりへの決意」を物語っているのでしょう。

 芸術家志望の女性がその芸術性の高さに憧れて著名芸術家結ばれるが、その才能を認められずに苦しむという例は、このアルマとグスタフだけではないです。カミーユ・クローデルとロダン、フリーダ・カーロディエゴ・リベラなどが思いつきました。カミーユは精神を病み、カーロはトロツキーと不倫するなど、不幸な結果に終わっています。

 世紀末画家のココシュカなどから慕われていたアルマが、自分の才能を認めようとせずに家政婦として扱う夫に愛想をつかすのは、当然でしょう。自業自得であり、因果応報な結末が待っています。

 ミュンターの才能を認め青騎士のメンバーとしたカンディンスキーが、芸術家カップルの理想の存在といえるのではないでしょうか?クララ・シューマンはピアニストとして傑出しており、シューマンに認められなくてもブラームスのような崇拝者が存在していたので別格です。

 20年ほど前に鑑賞した際にはアルマに冷淡に扱われるグスタフに同情していた記憶があるのですが、改めて見直していると、アルマへの同情が勝りました。「因果応報」について考えるようになったからかもしれません。

 

 回想によると「グスタフは子供の頃から多くの悩み」を抱えていました。ユダヤ人であり、子供の頃からいじめられていました。作曲家になりたかったが金にならないというので、両親はピアニストにしようとしました。有名になってからも作曲をする時間は限られ、生活のために指揮者の仕事をしなければならなかったのです。
 ウィーン宮廷歌劇場芸術監督になることを切望していましたが、音楽界を牛耳っているワーグナーの未亡人のコジマは反ユダヤ主義者で、ユダヤ教徒である限りウィーン宮廷歌劇場芸術監督になることは不可能でした。貧しさと決別するために、グスタフはユダヤ教からローマ・カトリックに改宗します。「金や名誉と、信仰と、どちらが大切か」について考えさせられます。

 音楽会の女神だったワーグナーの未亡人コジマに立ち向かうシーンは、『交響曲第6番』を背景に、ナチスの軍服姿のコジマと六芒星をかかげて黒いユダヤ服のグスタフが描かれ印象的なシーンでした。試練を乗り越え改宗した後の二人のデュエットでは、ワーグナーの『ワルキューレ」』が流れます。この「改宗のシーンは、生きたまま火葬される夢のシーンと並びフェリーニ作品を連想させる作品の最大の見もの」です。

 

 この作品の「唯一の希望」は、冒頭の「繭の中から女性(アルマ)が生まれグスタフの顔が掘られた岩にキスをするシーン」、」グスタフが『交響曲第6番第1楽章』の中に二人の愛は永遠に生きると確信するシーンです。これは「グスタフとアルマの間の愛が永遠に続く」ことを示唆しています。「死が訪れてもその作品の中には愛が生き続ける」と教えてくれています。芸術作品は、音楽であれ、文学であれ、絵画であれ、彫刻であれ、永遠に生き続けるのです。

 「ラッセル監督の多くの伝記作品の中でも傑出した出来」となっています。上記の他にも、シューベルトの『魔王』などの名曲が使用されています。マーラーの荘厳な音楽に包まれながら、愛と死、信仰と金・名誉などについて考えさせられます。フェリーニ的なシーンも楽しめます。音楽ファンはもちろん、旅行好きや美術好きにもおすすめできるもっと高く評価されてもよい隠れた名作といえるでしょう。

 

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