『イティハーサ』水樹和桂 ユダヤ教神秘主義カバラの教え「人生の意味は何か」を示唆 : 10点
松田遼司の「旅行・音楽・美術好きのための映画・漫画評論」。現代でも通用する過去の名作を中心にお届けします。
漫画評論の記念すべき第1回目は、ユダヤ教神秘主義カバラの教えである「人生の意味は何か」を示唆する水樹和桂『イティハーサ』を紹介します。
『イティハーサ』の概要
『イティハーサ』は、水樹和佳(子)先生による名作SF恋愛漫画です。主人公たちが繰り広げるせつない恋愛模様、先生の描かれる美しすぎる世界観や登場人物、一コマ一コマが完璧に近いイラストに魅了されるでしょう。美術好きな方は文庫版やコミック版ではなく愛蔵版での所蔵をオススメいたします。筆者もコミック版から買い替えました!愛蔵版は15冊構成となります。水樹和桂先生は1979年発表の『樹魔』の続編『伝説』で優れたSF作品に送られる星雲賞を1981年にコミック部門で受賞していました。この『イティハーサ』で2000年度にも星雲賞に再度選出されました。
しかし、この作品は単なる絵画のように美しいイラストで彩られた恋愛SFファンタジーではありません。そのタイトルを調べてみると理解できるのですが、「宗教についてを問うた奥深い作品」となっています。『イティハーサ(Itihasa)』とは英語版ウィキにあるように、『マハバラータ』『ラーマーヤナ』『プラーナ文献』などの「ヒンズー教の聖典の集大成」のようです。
特にプラナー文献のウィキにあるように古代のプラナー文献は「宇宙の創造」・「再創造 」・「周期的な破壊と再生」、「神々と聖仙の系譜 」、「人祖マヌの劫期」、「人祖より描かれる人類史」からなっています。「劫」の単位は12,000であり神々の「劫」は天文学的数字ですが、「人祖マヌの劫期」を12,000年とすると、『イティハーサ』の舞台が今から12,000年なのも納得できます。マヌは大洪水を生き延びた人であり、旧約聖書のノアにあたるようです。
つまり『イティハーサ』は、12,000年前の「人類の祖先である方々の物語」ということになります。『イティハーサ』の意味は「真理」であり、「真理にたどり着いた選ばれた人々の物語」と解釈できます。日本語版ウィキにある「歴史」ではないようです。日本語版ウィキは英語版の抜粋であり間違いが多く、グーグル検索トップの質問の回答がそこから取られていることが多いです。日本語検索結果はミスリーディングされる事も多いので気をつけましょう!
舞台はインドではなく日本ですが、「多神教の肯定と一神教の否定がテーマ」となっており、「八百万の神がおらしめたかつての日本」でも違和感は全くありません。
冒頭に、「自分はなぜここにいるのか、何処より来たりて何処へ向かうのか…」とありますが「この答えを求めることこそがカバラ」です。「カバラはユダヤ教神秘主義」とされていますが英語の6時間にもわたる動画によると「宗教ではなく、神の叡智を知るための知識・科学」なのだそうです。日本では「カバラ数秘術」として知られているカバラですが、単なる占いではありません。1995年までは閉ざされていた「ユダヤ教神秘主義の叡智」なのです。『エヴァンゲリオン』のコアなファンの方ならばご存知かもしれません。『エヴァ』好き必見の作品と言えるでしょう!
『イティハーサ』のネタバレなしの途中までのストーリー
『イティハーサ』は、ノアの方舟で知られる大洪水の100年後、12,000年ほど前の古代日本で始まる。「目に見えぬ神々」を信仰する部族の鷹野は、青比古と陽石を使用した真言告の修行中に赤ん坊の鳴き声を聞く。乳も吸わず衰弱していたが、巫女と村人の真言告の声明で助かり、鷹野の願い通り、赤子は鷹野の妹として育てられることになった。巫女の神来(インスピレーション)により透祜と名付けられた。
7年後、鷹野は15歳、透祜は7歳、青比古は24歳となっていた。3人が陽石を探している間に「威神」鬼幽の信徒により村人は惨殺される。3人は現れた「亞神」律尊の信徒の桂と一狼太により助けられる。桂は17歳、一狼太は19歳だった。巫女の遺言で鳥居の下に埋められた「目に見えぬ神々」から賜った御神宝と知恵の書を掘り起こすと「剣、陽石の珠飾り、鏡」が出てきた。鷹野は剣を取り、青比古は珠飾りを身につける。
村に来る途中に毒きのこを食べて重症となった律尊の信徒達を、青比古が真言告で助けて信頼を得る。「亞神」は善を好み平和を望む、「威神」は悪を好み破壊を欲するという単純な「善悪二元論」を聞いた3人。「目に見えぬ神々」を信じる青比古は「亞神」と行動を共にすることを拒むが律尊に暗示をかけられ、行動を共にすることになった。
冬が過ぎ、春となった。鷹野は桂の修行を受け年少組で最強となり年長組となる。透祜も青比古に陽石の使い方を学んでいた。
一狼太は桂を、桂は青比古愛するようになる。一狼太は青比古に殺意を抱く。鷹野は桂に恋をし、師匠を一狼太に変える。透祜は桂の剣の弟子となる。
7~8年後、透祜は強くなり、鷹野を愛するようになる。隠者弥仙が訪ねてきて「神名」など「目に見えぬ神々の知恵」を一行に説明する。透祜と紅玉を見て巫女の資格を見、過去視で透祜は双子だと告げる。透祜の姉妹はさらわれ、鬼幽の信徒となっていた。透祜が鷹野の妹でないことを知っていたことも判明する。
東の不二(富士山)とさらに北の3倍以上の永久蛇(十和田山)の存在を知ると、律尊は1人不二を目指した。律尊の結界がなくなった時、鬼幽の配下が現れ、双子の夭祜と透祜が出会ってしまう。体が傷つくと意識がなくなり殺生に走る神鬼輪をつけた夭祜は、透祜を刺し殺す。片割れの死で自らも死んだ夭祜だが、透祜としてその意識を残したまま蘇るのだった…..(愛蔵版15 巻中の4巻途中まで)
『イティハーサ』を読んでの感想
「子供の頃に蟻の巣を潰したりして遊んだ」のを覚えています。性善説や性悪説はどちらも正しくかつ間違っており、「人間には善性と悪性が存在」するわけです。教育や理性や宗教で悪性を抑えるようにしているだけでしょう。『イティハーサ』で「さらわれた子供が威神の元で殺戮に快感を覚える」ようになるのは「世界史や映画をよく知る方であれば容易に理解できる」ことです。
オスマン・トルコ帝国において征服されたキリスト教徒の子供を奪い、改宗させて皇帝直属軍として育てたイニチェリ。彼等を祖国に赴かせ残虐を尽くさせた様を描いた映画『略奪の大地』を観れば威神に仕える者の気持ちが理解できるでしょう。ヒトラーユーゲントもナチ思想を青少年の頃から植え付けられた似たような存在だったのではないでしょうか?
このように威神の従者はさらわれる前は悪だったわけではなく、亜神の従者も威神につけこまれ悪に染まる場面もあります。「人間は、善悪二元論で簡単に片付けられるものではない」と示唆しています。「善性も悪性も抱いてこそ人間」ということのようです。「この世に必要でないものなど存在しない」という言葉と同義なのでしょう。「どんな悪人でも悔い改めることができる、そして許される」ということのようですが、残念ながら自分はまだ未熟で賛同できていないです。
そして、現在の新興宗教がよい例ですが、『イティハーサ』においては「神を求めるのは弱い者であり、強き者は神に頼らず己を追求」しています。しかし、「それは稀」とされています。人間は弱く群れたがり、「孤独でいられる方は少ない」ということでしょう。「他の者と同じように生きるのが楽」だからです。「自己を保つことの難しさと重要さ」を説いています。「神に全てを頼ると考えることを止め、知ることへの欲求がなくなり、進化が止まる」のでよくないようです。「己を知ること、進化させていくことが重要」というのでしょうか?
『イティハーサ』でこの稀な存在であるのが「目に見えぬ神々」を信仰する部族だった青比古、鷹野、透祜です。そして「人祖マヌ=ノア」は青比古だということでしょう。鷹野と透祜は『アカシックレコード』に一度戻り、輪廻転生をして会い続けることになるのでしょうか?「ソウルメイト」というものかもしれません。
「夜彲王」という大蛇ミズチに乗る全ての亜神と威神の神名を知り「目に見えぬ神々」から神名を与えられた人間が登場します。この存在は「目に見えぬ神々」=アカシックレコードに創造されたものであり、「イエス・キリストのイメージ」がつきまといます。「1万年後に現れる唯一神」とは、1万2千年前の物語なので「現在から2千年前でイエス・キリスト」になるからです。人類がそれを受け入れれば、「調和」が生まれる。受け入れなければ「反調和となり、混沌が続く」ことになります。
しかし、「目に見えぬ神々」=アカシックレコードは神ではないとすると、「夜彲王」も救世主=イエスではないようです。人間を見守る存在です。本当の神から遣わされた救世主=イエスを受け入れるかどうかを託された「透祜=人間の代表」は、唯一神を拒絶し「輪廻転生を続けて唯一神の力を跳ね返す御神鏡を使える鷹野を探し出し、渡すことを選ぶ」のでしょう。神に頼らず、転生を繰り返し、己を知り、進化させていくことが不調和=宇宙の崩壊を防ぐことになるからです。
『イティハーサ』では、このように、「一神教を否定し、多神教を肯定」しています。その「意味は何」なのでしょうか?「目に見えぬ神々」は十和田=永久蛇に住まわれています。十和田には八郎太郎という龍の伝説があります。太郎は素戔嗚尊、イザナギ、イザナミの三神である熊野権現の使いの僧に敗れます、素戔嗚尊に八岐大蛇が退治された神話を想起させます。非征服者が八郎太郎=八岐大蛇=悪魔として扱われ、逃れた地である東北=出雲=縄文人=ズーズー弁という説があります。一方で、「目に見えぬ神々」は鳥居を作っており、ユダヤとの関わりも見られます。十和田のそばにはキリストの墓の伝説もあるそうです。カソリックに敗れ異端とされたキリスト教の諸派のように非正統のユダヤ教であるカバラを象徴する「夜彲王」は龍=ルシフェルなのでしょう。
征服者が素戔嗚尊=牛頭天王=神です。九州から近畿=弥生人=失われた10部族のイスラエル人です。八坂神社の神がユダヤ伝来の牛頭天王で素戔嗚尊と習合されました。祇園はZionと発音され、祇園祭の山鉾のタペストリーなどにユダヤとの共通点が見られるのはもうよく知られた事実です。鳥居の下から掘り起こされた「剣、陽石の珠飾り、鏡」は三種の神器を表しているのでしょう。天皇家の皇位の象徴です。
『イティハーサ』の時代は縄文時代です。「循環・再生の死生観」を持っており、「輪廻転生」と一致します。さらにユダヤ教でも神秘主義とされる正統派とは異なる思想「カバラ」には「輪廻転生」の概念があります。さらに多神教の概念もあるようです。『イティハーサ』はユダヤ教の中でも「輪廻転生」と多神教の概念を持つ「カバラ」の概念を語っているのです。唯一神を信じるユダヤ教正統派とは考えを異にするようです。
カバラでは、「神の叡智=精神世界」は「知りたいもののみが学ぶことができる」とされています。不二の「亜神」天音の下に集まった人々は造物主に与えられるものに満足をし、知るという欲求=進化を止めた人々です。これは大洪水で消えた宗教大陸「無有」と同じです。科学に心を奪われた大陸「有蘇耶」も同様であり、神(救世主を遣わすことになる本物の神)は滅ぼすことを決めたのでしょう。カバラによる本当の人生の目的とは「なぜ自分はここに存在するのか」を知ることです。「目に見えぬ神々」からの叡智を知る意志を示したのは青比古、鷹野、透祜と「威神」鬼幽、「亞神」律尊でした。
過去に囚われている登場人物が多い中で、「青比古は未来」を視ています。その姿に「他の人間たちも共感していくべき」だというメッセージもあるようです。そしてカバラによると神々の叡智を知るのに必要となるのが「第六感」です。『イティハーサ』では透見や先見、神来が登場します。
色々と書いてしまいましたが、「SFファンタジー」としても、「恋愛アドベンチャー」としても、「美しいイラスト」としても楽しめるので、「どなたにでもおすすめできる漫画」なのではないでしょうか?なぜ「アニメになっていないのかが不思議な作品」の一つです。