『草迷宮・草空間』内田善美 迷わずに信じてあげれば成長!ロボットにも魂が宿ると示唆 : 10点
松田遼司の「旅行・音楽・美術好きのための映画・漫画評論」。現代でも通用する過去の名作を中心にお届けします。
漫画評論の第5回目は、「人形は魂を持つという言い伝えを元にロボットにも感情が生まれる」というSF作品の普遍的テーマを示唆している内田善美『草迷宮・草空間』を紹介します。
『草迷宮・草空間』の概要
『草迷宮・草空間』は、内田善美氏によるファンタジー漫画です。内田善美は初期の作品である『秋のおわりのピアニシモ』では師匠の一条ゆかり氏ゆずりの少女漫画風の美しい画像と高校を舞台にした設定の中で、すでに少女の成長というテーマで主人公の内面に切り込んだ作品を描いていました。この『草迷宮・草空間』は『星の時計のLiddell』と並ぶ後期の代表作ですが、難解な『星の時計のLiddell』と比較すると「コメディ色が強い明るい雰囲気の作品」となっています。『草迷宮』の続編が『草空間』で単行本は2つの作品を収録した豪華本のみとなっています。ラファエル前派に影響を受けた美大出身の内田善美の美しいイラストも堪能できるので『イティハーサ』同様に豪華本で良かったと思われます。
「人形には魂が宿る」というという言い伝えは日本に限った話ではなく、世界中に見られます。歴史の浅い米国ではブードゥー教がキワモノ扱いされ、ハリウッドによりブードゥー人形には呪いの道具としてのイメージが植え付けられました。このブードゥー人形に針を打って呪うという方法は、まさに日本の京都の貴船神社で始まったとされる丑の刻参りとそっくりです。その影響で日本でも古い人形には怖いというイメージができています。筆者も伊勢外宮に伝わる人形がなにか恐ろしくて両親に返却してしまったという経験があります。『草迷宮・草空間』に登場する人形は市松人形という着せ替え人形のようですが、作中には着せ替えしてもらい綺麗になるというシーンも登場します。中日新聞のサイトによると髪の毛が伸びるというものもあったそうです。
しかし魂の宿る人形には上記のような黒魔術的なものの他に『ハリー・ポッター』などで知られるようになった白魔術的な善いものもあるようです。添付英語サイトによるとイギリスのスコットランドやウェールズのようなケルト文化ではヒーリングに使用しているようです。
『草迷宮・草空間』のネタバレなしの途中までのストーリー
タイトルページの前のプロローグによると子供の頃に猫と一緒に暮らし自分が猫だと思っており人間と知ったときにショックを受けたという草。『草迷宮』は、大学生になった草が帰り道に捨て猫の声を聞くシーンから始まります。猫嫌いの大家さんがいるので聞こえないふりをして通り過ぎようとした大学生草は、足をかけられて転んでしまいます。眼の前にいたのは猫ではなくおかっぱ頭の少女でした。自分を見捨てる薄情者と言われた草はねこと名乗る少女を家に連れて帰ります。翌日大学にでかけた草は夜に帰ってくると明かりもつけずに縁側で待っていたねこに惹かれます。金魚を知らないというねこに「これは金魚だ」と教え、食事をしていないというねことみりん干しを食べるのでした。草に拾わえる前はボスと一緒だったというねこは「汚れていてもまだまだべっぴんだから誰かに拾ってもらえ」という言葉を残して去っていったボスと別れてから一人だったのです。
翌日落ち込んでいる草を励ますために親友の時雨が草が好きなあけみちゃんたちを連れて突然家におしけけてきます。ねこを押入れに急いで隠した草でしたが、着物のたもとが出ていてねこが見つかってしまいます。友人たちは「ボロボロの大きな人形!女の子みたい」というのでした。
ねこは友人たちの前では人形のままでしたが、彼等が帰るとまた草と話し始めるのでした。翌日大学から帰ると金魚が死んでいました。「ねんね?」と死を理解できないねこに草は「金魚を土に埋めると肉体は土に帰り魂は天に帰る」と説明します。「魂ってな〜に?」と聞くねこに草は「こころ、精神?難しいことはきくな」と答えるのでした。ねこはボスから「お前はこころを持った珍しい人形だ、夢を見たりボスを好きなのはこころがあるからだ」と語るのでした。「ボスはすごい知識人だな、何者だ?」と尋ねる草にねこは「子分が30匹はいるノラネコだって」と答えるのでした….
『草迷宮・草空間』を読んでの感想
高校の歴史の教科書に出てくる17世紀フランスの哲学者デカルト。「我思う故に我あり」という言葉と共に記憶させられるだけで「実体二元論」については習っていません。世界には肉体や物質という物理的存在と別に魂や精神という心的存在があるというものです。キリスト教では三位一体説と合わせて肉体とそれに働きかける精神(心、意識)と不滅の変えることができる魂とを区別しているようです。精神は神と通じあえる唯一の手段で生活は肉体と精神で成り立っているそうです。魂は意識や感情で神に属しており、肉体と異なり誰も滅することができないそうです。
この精神と魂の区別は難しく異論もあるはずなので、デカルトのような二元論に落ち着いているのでしょう。この『草迷宮・草空間』で描かれているのも肉体を持たない人形が人間と同じ心を持つことができるのかという命題です。『2001年宇宙の旅』や『ブレードランナー』などSFファンにはおなじみの疑問点でしょう。
『草迷宮・草空間』でねこがボスと話をするようになったのは雨のせいでした。「寒いだろう?」という声が聞こえて「誰?」と聞くとボスでなめたり体を寄せて暖めてくれるとあたたかい気持ちが生まれたそうです。その後ねこは進化していき、あけみちゃんに着せ替えしてもらうと「ありがとう」と答えるようになります。みなは腹話術と思ったようですが草以外の人間もねこが喋るのを認識したわけで「草は精神がイカれていた」というよくあるパターンになっていないところが名作と呼ばれるゆえんなのでしょう。ねこと同じように自然とあたたかい気持ちになってきます。
アニメの作画のバイトを手伝っている先輩の家で、草は作品を観せてもらいます。自分が切り取った紙切れの人魚姫が動く姿に感動します。「紙っ切れだからこちらの想いのたけの分だけ吸い取ってくれる、想いをこめるだけきれいに生きてくれる」という先輩の台詞に言葉を失います。
3歳のときのあけみちゃんの写真に写った姿にそっくりだったねこは、19歳になったあけみちゃんと3歳の写真のあけみちゃんとの区別がつきませんでした。二人のあけみちゃんが同じ人物だと知るとねこには大きな目標ができたのでした。
肉体と精神は別という『二元論』は81年星雲賞受賞の水樹和佳子先生の『伝説』にも人類は肉体と精神の二元合一体だという表現で登場します。『草迷宮』は81年発表なので当時はこうした議論が流行っていたのでしょうか?いずれにしろ人間しか持ち合わせていないとされている魂が「九十九」(つくも)という長い年月を経ると狐狸のような動物や人形などの道具にも宿るようにになるという考え方は付喪神として『伊勢物語』や『今昔物語』にも登場するなど平安時代から日本には存在していたようです。個人的には動物はもちろん植物にも精神が存在すると思えるので違和感なくこの現代のお伽噺に溶け込めました。
内田善美先生の執筆時には夢物語だったこの『草迷宮・草空間』も現在読んでみるとそうとは思えません。生成AIの進歩で19歳のあけみちゃんと同じ声や性格を見た目も同じロボットやアンドロイドの「ねこ」に埋め込むことも可能になるかもしれません。実は怖い話なのかもしれませんが、心があたたまるSFファンタジー作品といえるでしょう。恋愛作品としても読んでも楽しめるでしょう。「少女漫画ファン必読の作品」といえるでしょう。