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『オルフェウスの窓』池田理代子 大義の前では恋愛等の個人の感情は捨てなければならないと示唆 : 9点

松田遼司の「旅行・音楽・美術好きのための映画・漫画評論」。現代でも通用する過去の名作を中心にお届けします。

 漫画評論の記念すべき第3回目は、革命のような大義を達成するためには恋愛などの個人感情は捨てなければならないと示唆する池田理代子『オルフェウスの窓』を紹介します。

 

『オルフェウスの窓』の概要

 オルフェウスの窓は、『ベルばら』で知られる池田理代子先生による名作歴史恋愛漫画です。3人の主人公達の伝説に翻弄される恋愛、『ベルばら』同様に歴史の勉強になる日露戦争から第一次世界大戦にかけての欧州の世界情勢とそれに劣らない登場人物たちの魅力に惹きつけられるでしょう。『ベルばら』よりも登場人物の心理が複雑なので少女漫画というよりも大人のための恋愛マンガといえるのはないでしょうか?1980年に日本漫画家協会賞優秀賞を受賞しています。

 主人公が男装の麗人であり革命に翻弄されるという点は『ベルばら』と一致しますが、恋愛に生きる、より女性的なイメージで描かれています。タイトルの一部であるオルフェウスは、高校時代に大好きだったギュスターヴ・モローの同名絵画で知られるギリシャ神話の登場人物です。主人公が通うレーゲンスブルクの聖ゼバスチアン音楽学校には、オルフェウスにちなんでつけられた「窓から見下ろした男と下を通りかかった女は恋に落ちるが悲恋に終わる」という言い伝えがあります。作品の冒頭では、この学園伝説の元となったオルフェウスとエウリュディケとの物語が語られます。そして、女性であることを隠して転校してきた主人公は、先輩のヴァイオリニストと同級生のピアニストに窓から見下されてしまったことから、運命に翻弄されていきますちなみに、オルフェウスが亡くなった妻エウリュディケを追って冥界に降りるという逸話は日本神話のイザナギ・イザナミ神話とそっくりです。日本とギリシャとの古代においての繋がりが想起されます。

 筆者はこの作品を読み返した際にレーゲンスブルクがミュンヘンから車で1時間ほどだと知り、レンタカーで訪れました。十字軍時代からの趣を残す旧市街は世界遺産となっています。世界最古のソーセージ店ではヴァイスビールとウインナのように小さな焼いたソーセージを楽しめます。近郊に位置する『オルフェウスの窓』本編にも登場するアテネのパルテノン神殿を模したギリシャ風建築の内部にベートーベンやゲーテなどのドイツの著名人の胸像を並べたヴァルハラ神殿も必見です。

 池田理代子先生や青池保子先生の作品は東大で西洋史を専攻した筆者の視点からみても、よくここまで研究したと感心させられます。その作品に登場する土地を訪れる旅を何度も行ってきましたが、後悔したことは一度もありません。是非お試しください!

 舞台はドイツとロシアですが、日露戦争についても語られるので日本も登場します。戦争の集結がロシアにとっても日本にとっても望ましかったことが理解できるでしょう。教科書から学ぶよりも楽しいし、記憶に残るでしょう。1893年から1924年までの30年にも及ぶ時代を4部に分けて描いた大作で、単行本は18巻にも及び少女漫画としては異例の長さでした。遠く離れたドイツとロシア両国に主人公2人が関係しているという複雑なストーリーを考えついた池田先生の創造力に圧倒されるでしょう!映画と異なり監督・脚本・俳優まで全てを1人でこなすという漫画家の偉大さが世界的に理解されてきたのは素晴らしいことですね。テレビなどという低俗なもののおかげで世界に誇る偉大な才能の1人が亡くなられたのは非常に残念であり、風化されないことを望みます。

 

オルフェウスの窓』のネタバレなしの途中までのストーリー

オルフェウスの窓』第一部は、日露戦争前夜の1904年ドイツ南部のバイエルン王国レーゲンスブルクにある聖ゼバスチアン音楽学校で始まる。名門貴族フォン・アーレンスマイヤ家の庶子であり母から後継者となるために男として育てられたピアノ科の転入生のユリウスは、「オルフェウスの窓」の下を通りかかり、奨学生であり窓にいた同じピアノ科の転入生のイザークと出会った。ピアノ教師のヴィルクリヒ先生から窓の言い伝えを聞いていたイザークはユリウスに惹かれるが、男と想い気持ちを鎮める。そして上級生のヴァイオリン科のクラウスと喧嘩となったユリウスは、偶然にも窓で涙を流す彼とも窓の下で出会ってしまった

 ユリウスは二人の義姉のマリア・バルバラとアネロッテと母を守るために争うが、ヴィルクリヒ先生が二人のかつてのピアノの家庭教師で、マリア・バルバラが先生に恋していることを知る。

 校内コンサートでは、クラウスとイザーク、ダーヴィットとユリウスが組むこととなった。クラウスに惹かれるユリウスは、アルラウネという婚約者がいることを知りショックを受ける。また、クラウスにも誰にも知られていない秘密があった。イザークとダーヴィットはユリウスに、イザークの妹のフリドリーケとイザークの弟子のカタリーナはイザークに、イザークが転入するまではピアノ科トップだった街の有力者の息子モーリッツはフリドリーケに恋をするという複雑な人間関係が出来上がる。そしてユリウスの母とヴィルクリヒ先生、先生とアーレンスマイヤ家との隠された関係も明らかになっていく。

 こうした中、モーリッツとその母の妨害にも関わらず、イザークはレーゲンスブルグ管弦楽団とのコンサートを成功させ、指揮者のショルツ氏にウイーン音楽院に招かれるが、ユリウスを想い断る

一方、クラウスが退学になると聞いたユリウスはクラウスを追いかけ、女だと知っていたクラウスと抱き合うが、置いていかないという約束にも関わらず、クラウスは彼女を危険な目に遭わさないために1人でロシアへと旅立っていった。(単行本18巻中の5巻途中まで)第1部は7巻まで、その後舞台はウイーン、ロシアへと移っていく。

 

オルフェウスの窓』を読んでの感想

 『オルフェウスの窓』は、恋愛漫画としても歴史漫画としてもミステリーとしても楽しめる秀作です。

 但し上記のように少女漫画らしく恋愛がメインですが、多くの登場人物の気持ちが複雑に絡み合うところが少女向けの一般の少女漫画とは異なる点です。また、殆どの登場人物の愛が自己中心的なものではなく相手の幸せを考えて自らの恋を諦めるという非現実的な愛である点も、作品を高尚なものにしています。ユリウスとクラウスとの間の愛を始め、「至上の愛」とはこういうものなのかと考えさせられます。恋愛作品ですが、一般受けはしない、特に男性には理解されない作品といえるのではないでしょうか?

 歴史作品としては日露戦争、その最中に起きた第一次ロシア革命、第一次世界大戦中の2月革命やレーニンによる10月革命おけるロシア帝政と革命派との対立、メンシェビキボリシェヴィキとの確執を忠実に描いており楽しめます。20世紀初頭のドイツやオーストリア、ロシアの雰囲気も味わえます。

 ミステリーとしては、アーレンスマイヤ家とヴィルクリヒ先生との間の謎、クラウスと仲間達と皇帝派との闘い、アーレンスマイヤ家とロシア帝政との隠れた関係などは非常に複雑であり、テレビのミステリー番組のように犯人が誰か、どういう謎かなどが途中で分かることは決してないでしょう。最後の最後まで展開が分からないので、一気読みがおすすめです。作品の最後を想像できるのは神だけと言えるほどに先が読めません。

 『オルフェウスの窓』では、『ベルばら』同様に「推し」が分かれることになりそうです。登場人物のそれぞれが魅力的だからです。ここでは第一部にしか触れませんでしたが、ロシア編でも史実に基づいた者を含む多くの魅力的なキャラが出現します。

 

 そして作品のテーマは『ベルばら』に続き、「革命」が何物にもまして優先されるという使命感です。オスカルと同様に貴族の家柄に生まれながらも重労働や貧困に苦しむ民衆のために立ち上がるクラウスや亡き兄、物語の続きで登場するロシアの貴族たちの勇気に胸を打たれるでしょう。

 友人たちを裏切り、見知らぬ一般大衆と行動を共にする。さらにブルジョワと共にある共和制でなく労働者のための真の民主主義を目指すボリシェヴィキに身を投じる貴族達の姿は今日の西側社会では理解されないものでしょう。現実社会では、社会主義政権化で皆が平等であるはずのロシアや中国でも貧富や階級が存在しています。やはり理想と現実は異なるのだと思い知らされます。その複雑さで恋愛作品としても一般受けはしないでしょうが、テーマ自体が現実主義者には受け入れづらいのではないでしょうか?一部の漫画愛好家の間では「池田理代子作品の中でも最高作」と言われながらも、宝塚作品にも採用されましたが、『ベルばら』のようなヒット作品とならなかったのは、ここに原因があるのでしょう。

 

 色々と書いてきましたが、単純な漫画作品では物足りない、難解な作品を好む方にはぴったりの作品でしょう。上述のようにドイツ旅行を考えていらっしゃる方にもおすすめです。

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